灼熱ノ8月30日。歌舞伎町HooK UPS、スベテノコトト参加者ニアリガトウゴザイマシタ!
column 48
go parkeyによる公園バスケでのキッズクリニックとエキシビジョンゲームの2部構成イベント、ラブゲーム(#LVGM)。今回はクロージン後、そのままにPC広げて書いた顛末記的コラム。
Article_go parkey
Photo_Kenji Nakata
We are playground basketball residents like pikeys!!!
テレフォンライン。このイベントの最初のカケラは4年前の1本の電話にさかのぼる。go parkey代表ABが手当たり次第に電話をかけたうちのその1本。受話器の向こうは新宿区役所。公園をアートコートでリノベーションする。そんなことを最初からカマしたところで、「なんでしょう、それは?」というのが関の山。それは当然で、海外に比べて、まだまだ公園にフープがあることすら珍しいのに現代のガチのアートでコートをリペイントするなんて、宇宙人と話しているようなもの。無下に扱われることが当たり前。厄介者扱いされることも少なくなかった。そういう中で、新宿区はアートにもコートにもリノベーションにも、興味を持ってくれたのだった。そのとき、「刹那的な都市文化の代表格だけある。新宿は新しい」などと、我々は感想を言い合ったものだった。それから、スポンサーを見つける作業とアーティストのドラフトを同時に、急ピッチで進めていった。その結実が、ケビン・デュラント・ファンデーションと2K(NBAゲームでよく知られる)ファンデーションのスポンサーシップと、ケビン・デュラントが名だたるアーティストたちの作品から、鶴の一声で選んだFATEのデザインだ。あのときにABがかけた電話を新宿区のあの担当者が取らなかったら、このイベントは存在しなかった。それは断言できる。すべてはテレフォンラインから生まれたテライン、美しいアートコートだった。
8月30日。歌舞伎町HooK UPSのイベント。スタート3時間前に集合したのは、新宿区役所の4年前にABからのテレフォンラインを(たまたまな偶然という必然)取った担当者をはじめ、歌舞伎町タワーの担当者、TMO担当者、そしてパワープロジェクトの方々とラブゲーマーたち。ワッツアップも早々に設営に取りかかる。見上げなくても見上げても同じ、太陽はジリジリと汗腺のエンドラインへと追い込んでいく。みんなあっという間に汗だくだ。ターンテーブルを実際にヴァイナルで回すDJ COGEEのPA調整がなんとか見えてきたところで、すでにクリニックスタート10分前、13時50分になっていた。太陽は南中高度にいよいよ達して、新宿、歌舞伎町の死角さえ照射する。まさに逃げも隠れもできない、街にそびえる歌舞伎町タワーでさえ影をつくることはできなかった。LVGMではgo parkey代表AB自らがなんだって働く。ストーリーや立場をなんとなくフワッとさせないために、(少数精鋭)一人何役もこなすのが基本だ。だから、普段からgo parkey Tシャツは、ワークウエア(作業着)だと自嘲している。そんなABが音楽に合わせてMCをスタート。受付のテントでは、スポルディングジャパンがキッズのために準備してくれた(人気だよね!スポンジボブの)キーホルダーとTシャツなどを配布していく。これは、物で釣ってるわけじゃなくて、ここまで来るのにいろいろクリアしてやってきた人々に、そのラベルになるだろうささやかな物を共有していただく。そういう感じ。とてもありがたい。そして、go parkey Tシャツを違う場所でも着て遊んでいる人を見かけることが増えてきて、めちゃくちゃ嬉しい。きっと誰かに突っ込まれたら、アートコートのことを話したりしてるんじゃないかって、微笑んでしまう。水筒とボールを抱えたキッズが続々とやってきて、新宿giversの面々はティファニーブルーのゲーム・ジャージーでキメてコートからウェルカムしていた。
今回のキッズクリニックを行なってくれた3x3ウィメンズ・プロチーム新宿giversは、サイズはないのを逆に武器にしてフレッシュかつ個々のオフェンススキルでプッシュするチーム。そんな彼女たちらしい「バスケをもっと好きになるコンテンツ」でたっぷりキッズとセッションした。リードしてくれた高桑選手と兼子GMは、チームのホームタウンという以上にこのKDパークと縁がある。あのテレフォンラインから10ヶ月後(その時も真夏だった)。彼らはgo parkeyと一緒にハケを持ってここにいた。FATEによって描かれ仕上げられたこのKDパークのゴール下やエンドライン付近のUSブルーは、彼らの手によるものだ。それから3年後。ここでクリニックを行い、さらにはフルコートのピックアップを通してキッズと真剣に楽しんでいた。その姿は本来あるべきところにあるという感じで、感慨深いものがあった。そんなクリニックの余韻のままに、新宿giversのオーナーかつ母体企業のプレジデントとトークセッション。空調システムがようやくデフォルトとなった競技バスケ会場とは遠くかけ離れた惑星に来てしまったかのようなアートコートの上で、キッズやプレーヤーとともに太陽にいぶられながらもストーリーを語ってくれた。何かを仕掛けている、理念をプッシュしている張本人の、誰かに翻訳(湾曲)されていない実声を聞けるのは貴重なことだと思う。良い時間だった。
そして、今回のイベントのパート2になるナイトゲームへとシフトしていく。もう1人のDJピエールもセット完了。Mo PARKERSは、最近はいろいろなトーナメントやイベントで存在感を出しているMP3(マイケル・パーカーのオーガナイズ)をコアメンバーにしたチーム。そのベンチ裏にDJピエールのPAという構図。Go PARKEYSは、このKDパークでしか出現しない珊瑚礁のようなチーム。最大公約数はgo parkeyの何かしらにリンクしていて、時と場所とメンツを選ばないラブゲーマーというだけ。そのベンチ裏にはDJ COGEEのPAがセット。レフリーは、公園バスケのナイトゲームで、ファウル表示もないようなゲリラ感でも、ピシッとコールしてくれるS級ライセンサーをリードヴォーカル?にした3人体制。一応ホームチームという位置付けのPARKEYSが10点ビハインドで推移していたゲームを、DJ COGEEがぶっ込んできたレッドホットチリペッパーズの往年の名曲『マジックジョンソン』を皮切りに反撃開始。逆転に成功する。ハーフタイムでは前日に売り込みがあった、ダンク・パフォーマーのヒロキとナオキによるセッション。正直、古来(と書かせてもらう、あえて)のジャパン・バスケでありがちだったサイズがデカいだけの人のダンクって、あんまり興味がなかった。しかし、彼らは2人とも、現NBAダンクコンテスト王者かつサイズがないと言われているマック・マクラングの6.2フィートよりさらに小さい。それなのにギャップオーバーとかウィンドミルとか何でもメイクしてしまう。このようなフィジカルを駆使しながらもクリエイティブなパフォーマンスには目が釘付けになる。気づけば、このあたりから、フェンスの外でも行く足を止めてアートコート上の光景に見入る人たちが増えっていた。そして、終盤までもつれたゲームは、クラッチタイム残り3分からの冷静さを見せつけたMo PARKERSが勝利。街やその街の一角には、そこだけが醸し出すムードがある。それが蛇の道は蛇というときもあれば、吉と出るか凶と出るかわからない。カオスな大都会ならなおさらそのトラップは多い。歌舞伎町は言わずもなが、カオス界のバビロンのようなもの。その街で音を奏でて公園バスケをして歓声を上げる。フェンスの外のグランマから「この辺でこういう光景を見れるのはいいわね。ここには見たくないものも多いから」とかって声をかけられたり、この街に暮らすいろいろな人から差し入れが届いたりした。盛り上がった後は、去る時間だ。夏夜の空はどんどん青から漆黒へと移っていく、それに逆らうように煌々とアバンギャルドな光を放つ歓楽街の輪郭がはっきりとしてくる。みんな持ち帰ってくれるからゴミは大した量ではないが、その他にもいろいろ片付けながら、少しずつ人々は公園を後にしていった。最後まで残ったのは早くから集合した面々。その中には、新宿区役所の4年前にABからのテレフォンラインを受け取った担当者もいるし、歌舞伎町タワーの担当者、TMO担当者、パワープロジェクトのエンジニア、そして我々とラブゲーマーたち。少なくとも4年前の我々以外は、新宿のど真ん中にある歌舞伎町でアートコートをつくるなんて想像もしていなかった。それからケビン・デュラントがFATEのアートに出会い、その場所でキッズクリニックやナイトゲームをすることになるとラフを描いていたのは一握りだった。DYCKMANやRUCKER PARK、さらにはWEST 4THなど、ニューヨークのサマーリーグのような、公園バスケの原風景から遠く離れたこの場所に、アートコートがある。ちなみにニューヨークの数多くの公園コートをペイントしリノベーションしたサムたちと我々は友だちだ。一緒にアートコートをつくってもいる(2023年吉川アクアパークなど)。1本のテレフォンラインから始まったこの歌舞伎町の新たなテラインは、歌舞伎町HooK UPS by LVGMとして立体化しつつある。まだまだいろいろなことができるし、我々のエナジーは尽きることはない。そして、我々のライトエナジーは、企画として、スタッフとして、コーチとして、キッズプレーヤーとして、ナイトゲームプレーヤーとして、オーディエンスとして、通りすがりにスケボーのプッシュの音に振り返るようにアートコートの音楽や歓声に足を止める者として、そういったすべての人のエネルギーのおかげでもある。まずはそこを書き留めておきたい。今回もありがとうございました。さて。AB代表。次のテレフォンラインはどこに繋がっているのでしょう? まだまだ我々にはアートコートが足りない。どんどんガチのアートでリノベーション・プロジェクトをやっていこう!
歌舞伎町大久保公園がローンチした日。美しい眩いばかりのアートコートの上で、キッズがピックアップゲームをしていた。それを眺めながら、アーティストのFATEが言った。「今日、こうして子どもたちが楽しそうにバスケットをしているのを見ることができて(まっさらだったアートコートに縦横無尽に足あとなどがつくのを見て)、やっとこのコートは完成したんだなと思って嬉しい」。我々はこのコートでLVGMイベントを開催するたびに、そんな彼の言葉を思い出している。額装された絵画とは違って、そこで躍動する人々がいてこそ、アートが汚れていってこそ、アートコートは存在感を増してゆくのだ。歌舞伎町で『ラブゲーム』の歓声が上がるたびに、FATEの美しいアートは汚れ、そしてきらびやかなネオンに負けないくらいに輝き出す。